知れば知るほど「唐津くんち」が好きになる!

「唐津くんち」は佐賀県唐津市で毎年11月に開催される伝統的なお祭りで、約400年の歴史を持ち、2016年にはユネスコ無形文化遺産にも登録されました。
唐津くんちでは14台の曳山が登場し観客を沸かせます。曳山を引く曳子の熱気や掛け声、曳山の迫力は圧巻で1度見ると魅了されます。
しかし、それぞれの曳山の特徴や歴史や意味を知ると唐津くんちが100倍楽しめます!

曳山に込めた願いや、順番をめぐって争ったことなど…当時の人々の思いを知るとめちゃくちゃ面白いんですよ♪
唐津くんちの基本情報と開催日程


2025年の唐津くんちは、例年通り11月2日(日)か ら4日(火)まで開催されます。
11月2日(日):宵曳山(19:30~22:10)
・19時半:大手口を出発、各曳山順次、列に参入
・20時半ころ:JR唐津駅前通過
・22時ころ :曳山展示場(アルピノ)到着
11月3日(月・ 祝):御旅所神幸(9:30〜16:30)
※早朝:唐津神社神前にて獅子舞を奉納
・9時半:唐津神社前出発
・正午:西の浜御旅所(早稲田佐賀中高第2グラウンド)曳き込み
・15時ころ :西の浜御旅所 曳出し
・16時過ぎ :市役所前から各町内へ
11月4日(火):翌日祭(10:00頃〜16:40)
・10時:唐津神社前出発
・12時半:JR唐津駅前の米屋町通り勢ぞろい
・14時半:曳き出し
・16時半過ぎ :曳山展示場に格納
※別の記事で2025年の唐津くんちのスケジュールや駐車場情報を紹介しています。


曳山の種類とその魅力
曳山は御神輿にお供して神様を警護する目的で造られました。文政2年(1819)から明治9年まで57年の間に15台の曳山が製作され、その内一台が明治中期に損滅し現在14台が現存しています。
曳山一覧
- 1番曳山:赤獅子(刀町)
- 2番 曳山:青獅子(中町)
- 3番曳山:亀と浦島太郎(材木町)
- 4番曳山:源義経の兜(呉服町)
- 5番曳山:鯛(魚屋町)
- 6番曳山:鳳凰丸(大石町)
- 7番曳山:飛竜(新町)
- 8番曳山:金獅子(本町)
- 9番曳山:武田信玄の兜(木綿町)
- 10番曳山:上杉謙信の兜 (平野町)
- 11番曳山:酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)
- 12番曳山:珠取獅子(京町)
- 13番曳山:鯱(水主町)
- 14番曳山:七宝丸(江川町)
曳山全14種と曳山ごとの豆知識
それぞれに独自のデザインと意味があります。
1番曳山:赤獅子(刀町)
最古の曳山で、厄除けと繁栄祈願を担うシンボル的存在


制作年:1819年(最古の曳山)
特徴:真紅の獅子頭。1本角で垂れた伏せ耳なのが特徴。
意味:厄除け・魔除けの象徴。町の繁栄と安全祈願。
14台ある曳山の中で最も古い曳山で真っ赤に彩色された獅子頭が迫力があります。一番曳山として巡行の先頭を担い「唐津くんちの象徴」とも言われます。
愛嬌のある顔立ちで観光客にも人気の曳山です。



丸顔でたれ耳がなんだかキュート。
2番 曳山:青獅子(中町)
1番曳山の獅子と対になるように作られた


制作年:1824年
特徴:鮮やかな青い獅子頭。赤獅子と対になる存在。
意味:やはり厄除け・守護の意味。赤獅子と共に町を守護。
かつて朝市などで賑わった中町で作られた曳山。温和な印象の赤獅子と比べ、歯や牙をむき出しにし、鋭い眼が特徴です。



赤獅子より若干険しい表情ですが、ピョンと裏返った耳裏が赤いのがまたカワイイ。
3番曳山:亀と浦島太郎(材木町)
雨が降ると蓑、笠の着用姿を披露することも


制作年:1841年
特徴:浦島太郎が背に乗った大亀の形。物語性が強い曳山。
意味:長寿・めでたさ・幸福の象徴。
材木町は材木、竹、木炭などの特権を持った町。船大工や船鍛冶も多く“神の使い”である海亀が曳山の題材となったよう。
浦島太郎は右手に釣り竿、左手に玉手箱を持っている。巡行中雨が降ると蓑、笠の着用姿を披露することも!



浦島太郎の亀の当時のイメージに驚かされます。
雨はイヤだけど蓑、笠姿は見てみたい。
4番曳山:源義経の兜(呉服町)
当時江戸期の庶民に人気のあった九郎判官義経


制作年:1844年
特徴:巨大な兜の形。兜には巨大な鍬形があり間に龍頭。
意味:武勇・勝利・守護の願い。
呉服屋が軒を連ねるほどの繁華になることを期待して名付けられたという呉服町の曳山。
当時江戸時代の町民にとって、娯楽であった浮世絵、歌舞伎などの題材のなかでも人気のあった「武者絵」。全部で3つある兜型のうち最初に作られ、当時江戸期の庶民に人気のあった九郎判官義経の兜。



実際の兜を拡大して作られていてすごいリアル!迫力もすごいです。
「当時の流行」とミーハー感ある所が親近感湧きます。
5番曳山:鯛(魚屋町)
愛嬌満点!ヒレがパタパタ動く!


制作年:1845年
特徴:大きな真鯛の姿。鮮やかな赤漆が美しい。
意味:めでたい「鯛」。豊漁・繁栄・吉兆を表す。
魚屋の町である「魚屋町」だからこそ「鯛」が選ばれたとも、神様へのお供えとして選ばれたともいわれています。
デフォルメされた目や口元には、鯛に寄せる親しみが感じられる。ヒレがパタパタ動いてまるで空を泳いでいるよう。



1845年にアニメ感満載のデフォルメした鯛にするなんてセンス良すぎます。パプワ君みたいで愛嬌ありますね。
6番曳山:鳳凰丸(大石町)
大商人が多く裕福だった大石町、豪華に作ってます!


制作年:1846年
特徴:鳳凰が船に乗った形。金色に輝く豪華な造形。
意味:平和と繁栄、天下泰平の象徴。
大石町は唐津で最も大商人が多く裕福な町。豪華な作りに制作当時の町の隆盛が窺えます。古代貴族の船遊びの船に龍・鳳凰があり参考にしたとも。
曳山の中でも大型の二台の船形のひとつで重量も重く、本体を二本の芯棒で支えています。



繁栄した当時に思いをはせることもできますね。
7番曳山:飛竜(新町)
大きな翼が特徴の飛龍、前後する姿が大迫力


制作年:1846年
特徴:天に棲む龍。大きな頭と翼、尾びれが特徴。
意味:昇龍=運気上昇・出世開運。
よくある龍とは違い、大きな翼を持つ2本足の飛龍。飛龍は全ての鳥類の祖とされています。
飛龍は古くから京都祇園祭の山鉾や、全国の寺社仏閣やお祭の山鉾屋台など、数多くの建造物に彫刻される伝統的な龍です。



しゃちほこに凄く似ているけど、違うらしい。
8番曳山:金獅子(本町)
獅子頭では最大、歯が銀箔からプラチナ箔にパワーアップ


制作年:1847年
特徴:金色に輝く獅子頭。3体の獅子の中で最も豪華。
意味:力強さ・守護・富と繁栄。
唐津城築城とともに出来た本町。城下町の惣行司の順番や唐津十七町の順番では第一番目にあげられることから、一番曳山の赤獅子を超える曳山を作ろうとしたと考えられています。
制作後の改修として「額と鼻のこぶ」「歯をプラチナ箔」など頻繁に改修されています。



「うちが1番!」「○○町には負けられん!」という意地を感じますね。
人間はいつの時代も同じようなことを考えていたんだなぁと身近に感じます。
9番曳山:武田信玄の兜(木綿町)
自軍の勢力を示す「旗」も兜系の見どころ


制作年:1864年
特徴:武田信玄の兜を模した造形。戦国武将の威厳。
意味:智略と武勇、戦勝祈願。
歌舞伎としても大変人気のある出し物「信州川中島合戦」から作られたといわれています。兜は白熊(ヤクの毛)が特徴として示されているようです。



8番曳山から17年もあいていますが、その間(1859~1862)に幻の曳山「黒獅子」が作られたといわれています。※諸説あり
「黒獅子」についても後半で少し触れています。
10番曳山:上杉謙信の兜 (平野町)
獅子頭の下の眉庇には三羽の雀がいるんです


制作年:1869年
特徴:獅子頭の装飾が特徴的な兜。
意味:義と勇気、勝利を祈願。
九番曳山「武田信玄の兜」に対抗して制作。形は兜鉢に獅子が食らいつく、「獅噛形(しかみなり)」。
職人が多い町筋で「金具を使わずかくし木栓で作った」と伝えられています。
11番曳山:酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)
源頼光に退治された酒呑童子が源頼の兜に噛みついている


制作年:1869年
特徴:鬼退治伝説の酒呑童子を意匠化。迫力ある表現。
意味:悪を退治し、平和と正義を守る象徴。
酒呑童子とは源頼光に退治された鬼の頭領。「切られた酒呑童子の首が源頼光の兜鉢に食らいついた」様子を造形していて、酒呑童子の眼光は怒りに満ちて血走っています。
歯は磁器、頭髪は白熊(白いヤクの毛)、眉毛は黒馬毛が用いられた職人技の傑作です。



よく見ると巨大な鍬形で源の頼朝の兜だと分かりますね!
12番曳山:珠取獅子(京町)
獅子が朱珠に爪をくい込ませて乗っている


制作年:1876年
特徴:獅子が4本足で玉に乗る姿。
意味:知恵・富・守護の象徴。
唐津焼の「珠取獅子」がモデル。当時珠とじゃれ合う獅子が多く作られていましたが、こうした大型の獅子が四本足で踏ん張って珠の上に乗っているのは珍しいと言われています。



ペタ耳で、玉に乗っている姿がサーカスのライオンみたいで非常にカワイイです。
13番曳山:鯱(水主町)
7番曳山「飛龍」とは顔やヒレが違いますよ


制作年:1876年
特徴:唐津城の鯱に似せた造形。力強い鯱の姿。
意味:水を司り、火災除けの守護神。
鯱(しゃち)は火災の折、口から水を吐き建物を守る霊力があるとされる空想上の海獣。幕末~明治初期にかけ水主町の若者の風紀がたいへん乱れており、この風紀を正すため曳山を造り奉納したとされています。
最初は「鳳凰丸」と対になる船形曳山「竜王丸」を造る予定でしたが、江川町が「七宝丸」制作中であったことと、水主町惣代が尾張名古屋城の金鯱を見たことで、海と水に所縁ある町名に因み「鯱」へ変更になりました。



こちらは「しゃちほこ」を見て作った“しゃち”なんですね!
若者の風紀を正すために曳山を作ったという所からも曳山に対する思いが伝わります。
14番曳山:七宝丸(江川町)
屋根が左右に動き乗りこなす姿は必見


制作年:1876年(最も新しい曳山)
特徴:宝船を模した形。七宝文様が豪華に彩られる。
意味:七福神に通じ、福徳円満・繁栄祈願。
江戸時代に流行した竜頭の宝船に絵柄がイメージ。
曳山の順番は制作年代順ですが、水主町の「鯱」と江川町の「七宝丸」は同じ明治九年で、順番をめぐって他の町を巻き込んでの争いになったと言われています。



順番をめぐって他の町を巻き込んで揉めたあたりが凄く人間らしい!
現存しないもう1つの曳山「黒獅子」(紺屋町)
安政6年(1859年)から文久2年(1862年)の間に制作されたと思われる「黒獅子」。当時は9番曳山でした。
明治22年(1889年)が最後の巡行で残念ながら消失し、詳しい理由はわかっていません。
黒獅子破損の理由として言われているのはこの二つ。
①お堀に誤って落としてしまった。
②提灯の火が燃え移り、近くのお堀に投げ入れた
実は、「黒獅子」は他の町の曳山と比べて一回り小さく色も黒で見栄えがせず、紺屋町の若者は気後れ感があったそうです。
また、お堀に落ちた事で他の町から笑いものにされて引き上げはしたものの、次の年からは曳山を出さなくなった…とも言われています。
何とも悲しい末路ですが、当時の人々に思いをはせることができてロマンを感じさせますね。
黒獅子の姿は、唐津市民会館の緞帳「唐津神祭行列図」(唐津市重要有形文化財)で見ることが出来ます。
人気曳山ランキング
観光客に人気が高いのは「赤獅子」「鯛」「飛竜」。迫力ある造形や縁起の良さ、豪華な装飾が人気です。
「赤獅子」は唐津くんちを象徴する曳山で、赤と金のコントラストが鮮やか。「鯛」は丸みのある形と豪快な表情で観光客に人気です。「飛竜」は動きのあるデザインで、まるで空を駆けるような迫力があります。
しかし、兜曳山はリアルに作られた兜と迫りくる迫力、「七宝丸」の揺れ動く屋根に乗る姿など、どの曳山も迫力があり曳子の熱気に圧倒されます。
どの曳山にもパワーや迫力に圧倒されます!全部の曳山を見てほしいです!
覚えやすい曳山の順番
曳山は1番から14番まで建制順で巡行します。番号と町名をセットで覚えると理解しやすくなります。
各曳山の覚え方のコツ
獅子系(赤獅子・青獅子・金獅子・珠取獅子)、動物系(鯛・鯱)、兜系(義経・信玄・謙信・酒呑童子)とジャンルでまとめ ると整理しやすいです。
曳山の役割や職人の想い
各曳山は町ごとのシンボルであり、住民が世代を超えて大切に守ってきました。町内会が中心となり維持管理され、祭りでは地域の誇りとして披露されます。
唐津市中心部にある「曳山展示場」では、祭り以外の時期でも14台すべてを見学できます。間近で見ると迫力と細工の美しさに驚かされます。
曳山制作の職人技
木材の骨組み粘土で原形をつくり、和紙を数百回張り重ね、麻布を張り、漆を塗り重ね、金銀を施して仕上げます。製作には3年前後かかったと言われています。華やかで丈夫な構造は数百年の伝統技術の結晶です。
職人たちの熱い思い
制作や修復には高度な技術と時間が必要で、唐津の職人たちは代々受け継いできました。一台ごとに魂が込められており、文化財としての価値を高めています。
おすすめ観覧スポット
①唐津神社前
全ての曳山が揃う絶好のポイント。
②宵曳山:11/2
提灯に照らされ、浮かび上がった14台の曳山はどれも幻想的です。
③町屋が並ぶ旧街道(魚屋町~大石町や坊主町~江川町)
風情の残る町屋が並んでいて道幅も狭いので迫力も倍増!
④宮島醤油前のVカーブ
鋭角なカーブを曳子たちが息を合わせて勢いよく方向転換する迫力シーンを間近で見られます。
秘密の観覧スポット
★大手口バスターミナルビルの2階
刀町から唐津市役所前の通りを巡行する曳山を上から見ることができます。曳山の細やかな装飾や上に乗っている人の表情まで楽しめる人気スポットです。
巡行時の楽しみ方
宵山ではライトアップされ た幻想的な曳山が街を照らし、御神幸では掛け声と共に迫力満点の曳き回しが行われます。写真を撮るなら、宵曳山のライトアップや交差点での方向転換の瞬間がおすすめです。
まとめ:唐津くんちの曳山全14種、魅力を徹底解説!
唐津くんちは地元の人はもちろん、県外からも注目されているビッグイベントです。
曳山を引く曳子たちの熱気や曳山の迫力は何度見ても興奮します。
ひとつひとつの曳山の歴史や特徴を知ってより唐津くんちを楽しんでください!